バーレスク東京の経営者である、内藤良太容疑者が逮捕されて注目を集めています。
内藤良太さんについて、初めて知る人は何者?
学歴や出身地は?
と、気になることがありますよね。
バーレスク東京・内藤良太さんとは、どんな人物だったのか?を調査してみます。
内藤良太容疑者の容疑や事件概要
逮捕されたのは東京・六本木のショークラブ「BURLESQUE TOKYO」の経営者、内藤良太容疑者(51)です。
愛知県警によりますと、内藤容疑者は2023年11月に店で別の人物と共謀して、無許可で女性従業員に客を接待をさせた風営適正化法違反の疑いがもたれています。
警察の調べに対し、内藤容疑者は容疑を認めているということです。
店は女性ダンサーによるショーを売りにしていましたが、ダンサーたちがステージなどで客に酒を飲ませるなどの接待をしていたということです。
また店では「リオン」と呼ばれるチップを販売し、客がダンサーの下着や胸元に差し入れると、その額に応じて接待の内容が変わっていたということです。
引用元:livedoorニュース
バーレスク東京内藤良太のWiki風プロフィール・年齢や出身地は?
- 名前:内藤良太
- 生年月日:1973年‐‐月‐‐日
- 年齢:51歳(2024年現在)
- 出身地:大阪府生野区
バーレスク東京・内藤良太の生い立ちは?両親についても語っていた
大阪府生野区に生まれた内藤良太容疑者は、
両親は、幼い頃に離婚していて、父親は毎日パチンコに通う様な人だったということを語っています。
母親は、パートをしながら切り詰めて育ててくれたそうです。
バーレスク東京・内藤良太さんにご兄弟はおらず、一人っ子だった。
ご飯に困ることは無かったが、いわゆる貧乏だったと言う、幼少期を過ごしていた。
バーレスク東京・内藤良太の学歴は?高校中退・中卒
高校へは進学したものの、1ヶ月で辞めているということで、最終学歴は中学校ということになります。
辞めた理由としては、1ヶ月間で2回の停学処分となり、先生から学校を辞めて仕事することを進められる。
バーレスク東京・内藤良太の職歴や経歴については?
その後、夜の仕事にスカウト(パブ)される。
その仕事で、人前で人を楽しませることに対しての楽しさをしり、この仕事や!と思い、パブで働いていた。
2年ほど働いて、大阪の南に出たいと思い、ディスコ(マハラジャグループ)で1年間ほど働く。
その後、当時日本一と言われていた、ショークラブのグループの大阪ギャルソンと言うところで働いていた。
ショークラブの規模が少しずつ、大きくなり経験を積んでいく。
当時は、ジャニーズなどに入りたいと思っていたが、入り方が解らないと言う部分でこうした経験を積んでいた。
27歳くらいまでに限界を感じ、東京に出る話が舞い込んでくる。
そして、上京。
そこから、東京都内でショーパブを演者として経験を積む。
本人も、経営者ではなく、どちらかというと演出家やプロデューサーだと話していました。
東京に出てからも、かなりグレーな事をしていたと語っているが、男性が全裸になって朝まで飲んで踊るお店と言う今では考えられない様なお店を展開。
そして、それが全国の主要都市に8店舗ほど。
しかし、Facebookが出来た頃に、ちょっとした炎上の様な形になり、時代を感じ、方向転換を考えていた。
こうした経験の中で、自分は何をしたかったんだ?と言うところまで考えたと気に、『キャーキャー言われるショーパブを作りたかった』と言う原点に戻り、そこで出来たのがバーレスクだったそうだ。
バーレスク東京では日本初のチップ制度(1枚あたり100円のチップを購入して気に入った女のコの衣装に挟んであげる遊び)を設けたパイオニアと知られる。クラウドファンディング、配信の投げ銭もない時代だった。
引用元:Wikipedia
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